2002年 春号(通算14号)コラム

 2002年になって早くも三分の一が過ぎてしまって、時は春爛漫を迎えている。春は始まりはつつましく、イヌノフグリの青い小さな花さえ嬉しくてしばし見入ったりする余裕があるが、桜が咲き始める頃には山にヤマツツジ、ヤマブキ、山桜が咲き競い、こちらを見れば梅の花(ここでは梅と桜が同時)、あちらを見れば桃の花とあちこちと目を奪われるうちにどんどん花が移っていく。小渋線(大鹿から小渋川に沿って松川、飯田へ出る道路)を走っていると、藤の花が美しいタレを作り始めているのを発見したり、庭にボケの花がつぼみをふくらませているし、木の枝にツルをからませているアケビの小さな花がもう咲いていてびっくり。黄金週間に採れるはずの山菜が10日も早く食卓にのぼっているのも、この春をさらにスピードアップさせている。4月のはじめに桜が咲くのは関東地方の話と思っていたが、今年は末っ子の鷹の高校の入学式は見事に桜満開で飾られた。わが家のサクランボウも4月はじめの最盛期には花に群がるハチの羽音が怖いほどだったが、今はとっくには葉桜に変身し、代わりに八重桜、山なしが全盛を誇っている。(と思う間にもう散り始めた)

 冬2月、娘の沙姫は二人目の女児を出産した。初めての出産は友人の助産院だったが、今回は本人たちの強い希望で自宅出産だった。駒ヶ根から駆けつけてくれた助産婦さんは、自身も2年ほど前に初産を体験し、これが産後の初仕事だそうで、緊張気味ではあったが、焦らずじっくり時を待ってくれた。おかげで出血のほとんどない、きれいなお産で、月満ちて産まれてきた児はよく太っていた。私の役目は上の児のお守りをすることで、正におばあさんの役目だった。陽向音=ヒナト(上の児つまり孫)はあいにく風邪を引いて熱と咳でダルいのか、私のひざでおとなしくだっこされて出産の知らせを待っていた。お産が済んでホッとしたのも束の間で、ヒナトが気管支炎と診断され、次に赤ん坊(結歌=ユイカと命名)までが風邪を引いて入院することになり大騒動となった。過ぎ去ってしまえば、とけた雪のように跡形もないのだが、あの事件は家族が同じ屋根の下で健康に暮らせるということがどれだけありがたいことかを見に染みて感じさせてくれた。おかげで今はみんな健康である。

 そんなわけで2月はあっという間に逃げてゆき、3月は息子の受験、卒業式など学校行事で明け暮れ、気がつけばウグイスが上手にさえずっている。時は春で気分は浮かれていいはずなのに、不況は深刻だし、世の中の動きがいよいよキナ臭く、油断ならない。戦後60年近く経った今、戦争放棄したはずのこの国がどんどん「戦前」に近づこうとしている。子の世代、孫の世代の将来が危ぶまれてならない。この世の平和を願うためには、まず自分の心の平和がはじまりとは思うのだが・・・

4月20日 穀雨
田村寿満子


コーヒー豆の国際価格の低迷とグァテマラの経済

 コーヒー生豆の国際市場の価格は低迷を続けていて、生産者の生産原価にも満たない価格で取引されている。グアテマラのコーヒー農家の生産原価は、1キンタール(46kg)100米ドル以上で、融資を受けているところでは金利がかかるのでさらに10ドルくらい高くなる。だから、市場どうりの値段でコーヒー豆を出荷してもかえって20ドルくらいの赤字になる。だから特別な出荷契約でもしていない限り、大幅な赤字覚悟でも人を雇ってコーヒー豆を出荷しようという農家はないわけで、高い値段で買ってくれるところを探す。しかし、それもなければ、コーヒー豆が真っ赤に熟しても収穫せずに放置して、豆がどす黒くなって自然落下するにまかせて、今年は豆を採らないというコーヒー園がたくさんでてくる。豆を収穫しないということになると、コーヒー豆の収穫労働でそれまで賃金を稼いでいた農業労働者が失業するということになる。

 グァテマラという国は、旧植民地によくある農業モノカルチャーで、コーヒー豆の輸出が全体の3割以上になり、農産物の中ではダントツの稼ぎ頭、観光業とならんで国の重要産業である。コーヒー以外の農産物では、あまった農業労働者を吸収することは無理だから、地域では抱えきれず、失業者は都会へと仕事を求めてやってくる。コーヒー産業は裾野が広く、1袋いくらで稼いでいる町の精製部門の労働者の仕事の絶対量もへるわけだから、失業者は農村だけでなく、都会にも発生する。都会の高い家賃など払えない人々は、今にも地崩れそうなガケの急斜面に集団でやってきて、ビニールシートや使い込んだ波トタンで囲った掘っ立て小屋で暮らし始める。ハリケーンなどによる大雨や洪水のまっさきの被害者に彼らがなるのだが、不法占拠ということで裁判沙汰になっているケースもあり、警官隊による強制排除の心配がつねにあるようなところには、政府の援助の手はなかなか差し伸びてはこない。都会に出てきても、年寄りや小さい子供連れの女性の仕事はあまりない。だから、仕事につけない先住民族の女性が物乞いしている姿が都会でよくみかけられる。都会の渋滞する信号待ちの車の列にむかってよろよろと、哀れな表情で1台ずつに声をかけて小銭をもとめる、すり切れて、排気ガスで薄汚れてしまった裸足の老女の民族衣装が、故郷の山や谷の中ではあんなに風景にとけこんでいたあの民族衣装が、コンクリートジャングルではひどく場違いに見えてくる。

(*注 カフェマヤは、生産者からの買い取り価格に最低限の設定をしていて、生産者原価を必ず上回るような価格で買い取っています。)

2002年2月25日
グァテマラ駐在 高木 三四郎


新しいコーヒーが入荷しました

 新コーヒーは、鮮度を追求して焙煎後すぐに空輸で送られてきたものです。グァテマラ・キチェ県の高地が生み出した高貴な香り、甘味、酸味を焙煎職人クラウス・ワーグナーさんが独自の焙煎工法で仕上げています。奥行があるのにさっぱりとしたキレのよいあと味です。
 なお、焙煎仕立てのため、粉にした場合に内部から炭酸ガスが発生して、袋がふくらむことがありますが、シールミスではありません。品質に問題ありませんので、安心してお飲みください。
 カフェマヤの新しい取り組み「マヤ エクスプレス」をどうぞお試しください。