ハシント デ・レオン さん
Jacinto De Leon

 ハシントさんは、1970年代の早い段階からコーヒー栽培に従事してきたが、80年代のはじめにグァテマラ内戦が激化した際、軍隊や反政府ゲリラなどにコーヒーの木を全部焼かれてしまった。その後しばらくの間、栽培地は戦場となったので部落を引き上げてネバッハ市に移り住んできた。90年代になって内戦も下火になってきたので再びコーヒーの栽培をはじめた。現在では、3人の息子さんと共同でコーヒーの栽培にとりくんでいる。

 ネバッハ市の自宅には、妻や未婚の娘さんがすんでいる。栽培地の山の山頂付近にももう1軒家をもっていて、そこには幼い姉弟2人がすんでいる。彼らの両親が亡くなったので、ハシントさんがひきとって面倒をみているという。コーヒー栽培の繁忙期にはほとんど山にこもりっきりになるから、ネバッハ市の自宅にもどるのは1週間に1日くらいになる。

 ハシントさんは自分の栽培方法や、収穫後の脱果や乾燥方法に自信をもっていて、若い人たちなどにいろいろと技術を伝授している。

 彼の栽培地は一段と標高がたかく、周りがすっかり収穫が終わって乾燥もすませているのに、まだ収穫が続いているくらいである。天候がわるく日射が不足で気温があまり上がらなかった年は、なかなか実が熟さず、彼の畑の最後の収穫は4月のなかばになる。

  現在のところ、カフェマヤが取引している生産者のなかで出荷量のもっともおおいのがハシントさんだ。

 

ベニート・マルコス・セディーヨ さん
Benito Marcos Sedillo

 妻のカタリーナさんとの間に6人の子供がいる。コーヒー栽培面積は約8反部で、大部分が斜面。

 肥料は、枯葉やコーヒー果肉(注1)を発酵させた肥料と大地の地力。2001年は不作だった。ペルガミーノで6俵(46kg/俵)の収穫しかなかった。しかし、開花時期(5月初旬〜中旬)は、コーヒーの木が植えられているところ全体が真っ白になるくらい花がよく咲いたので、2002年の収穫は20俵ちかくなった。

 ベニートさんは、シュコッツ(xucotz)という部落に住んでいる。彼は住民委員会議長(presidenteと名乗っている)、70軒あるシュコッツのいわば部落長だ。

 ネバッハの行政区内に入っているが、シュコッツのことは自分たちで計画をたてて、直接 政府や国会に働きかけて資金を調達しなければならない。調達してきた資金で資材を買い機械をリースして、自分たちの労働力を提供してプロジェクトを完成させる方法だ。

 いま、道路・橋・保健施設・簡易水道などの計画をたてていて、彼は2ヶ月に一度くらい深夜のバスにのって首都にでかけていき各種の援助基金などに資金申請をしている。用事が早く済んだ日は、片道5時間の山道をバスで日帰りすることもあるという。

 日本大使館でも小規模(1千万円以下)の援助の窓口があると教えてあげると、ぜひ行ってみたいからその時にはよろしく頼む、と言う。