ドミンゴ・ブリート さん
Domingo Brito

  妻-カタリーナさんとの間に8人の子供がいる。ネバッハから歩いて数時間のところにあるサルキルグランデの生まれ。幼少のころから父親の仕事の手伝いをして、家から離れたところにあった畑に泊りがけで出かけていって、焼き畑でトウモロコシなどを栽培していた。学校にいった経験はない。

 グアテマラ内戦が激化した1982年に、家や畑を捨てて、持ち物はほとんど何も持ち出せずに家族とともに難民となってネバッハ市にやってきた。ネバッハ市で小さな商店をはじめる。そのころから独学でスペイン語の読み書きを勉強する。今、自分の名前が書けてサインもできて、領収書などの発行も自分でできることが彼の誇りである。

 10数年前に、手足のしびれがとまらなくなったので酒をやめたという。マヤ系先住民の男性にはアルコール中毒で苦しんでいる人が多い。彼もアルコール中毒だったが、必死で酒をやめた。それ以来一滴も飲んでいない。

 1990年以降、バハベラパス県のコーヒー農園に豆の収穫をする労働者を送り出す仕事などをしたり、中古のトラックを買って運送業もやりはじめた。また、シュコッツ地区にアラビゴ種のコーヒーの木が植わっていた土地を買った。そこは、10年以上放置され荒れ果てていたので、下草を払ったり、シャドウツリーの枝の選別などの手入れをして豆の収穫ができるようにした。彼の土地のコーヒーの木の根元の樹齢は30年以上である。アラビゴ種などの原種の木は、収穫量が落ちてくると、根元から30cmくらいの高さのところで切り倒す。やがて彦生え(ヒコバエ)がでてきて、3年もするとまた豆の収穫ができるようになる。アラビゴ種の場合、根元の樹齢が50年くらいまでコーヒー豆の収穫ができる。

 

ミゲル・ブリート さん
ホアン・ブリート さん

  カフェ・マヤ創業当時からの生産者であるセバスチャン・ブリートの2人の息子は、成人してそれぞれ妻をめとり、子どもも生まれたので、セバスチャンとは家計を別にするということで、独立した生産者として紹介する。

 長男のミゲルさんは25歳で、妻と娘1人の3人家族。ミゲルさんは、子どもの時に病気をして片足がすこし悪いが、険しい傾斜地を収穫したコーヒー豆数十キロを背負って上り下りする。現金収入を稼ぐために農作業の暇なときには大型トラックの助手になって働いている。父親から分けてもらった土地と弟のホアンと共同で買った土地にコーヒーを植え、またトウモロコシや黒豆を栽培している。妻はネバッハ市の出身で普段から民族衣装のコルテ(スカートのようなもの)を着用しているのだが、娘には民族衣装を着せていない。もう少しおおきくなったらコルテを着せるようになるかもしれないと彼は言う。

 次男のホアンさんは23歳。妻と2歳の娘の3人家族。娘には民族衣装を着せている。スマリート村の入口付近に掘っ立て小屋を建てて、小さな商店を妻ととともに経営している。彼は、18歳になるとすぐ軍隊に徴兵され軍隊生活を2年間経験した。除隊してスマリートに帰ってきた当時は、写真撮影にも軍隊の迷彩服を持ち出してポーズをとっていたが、最近ではそのようなこともなくなった。


 コーヒー栽培の仕事には積極的で、収穫からの一連の作業のコツも覚えてきて、なかなかすばらしい品質のコーヒー豆をうみだしている。